コラム

安定から、消費者金融に借金を断られる状態に(森謙吾プロフィール14)

私は再びデザイナーの日常に戻りました。

しかし、大きく違ったのは、かつてはグラフィックデザイナーでしかなかったのが、会社に戻った私はグラフィックデザイナーであり、プランニング、コーディング、そしてSEO対策もできるWEBデザイナーになっていました。

早速、自社のホームページを3、4日で作成し、合わせてホームページ制作の仕事が増えて行きました。自分の会社に戻って半年後くらいには、図らずもグラフィックデザインとWEBデザインの売り上げは3対7くらいでWEB関連が主流になっていました。

これは前述の、デザイナーと名乗ることへの気後れがWEBデザインに対してはまったくなかったことも、この売り上げを増やす大きな要因になっていました。

そして、同時期、うちのホームページを見たというデザイン専門の出版社から、デザインの寄稿依頼が舞い込みました。その出版社はデザイナーには大変有名な会社で、ご依頼内容は、Adobe社の Illustratorというソフトを使った初心者向けハウツー書籍でした。10人くらいのデザイナーが5〜6個のグラフィックと、それを作成するためのプロセスを紹介するというものです。

うちのホームページには実績作品とそれを作る工程を紹介するページがあり、その内容を見てのご依頼とのことでした。私の経歴・学歴や雰囲気からではなく、実績作品を見てのご依頼でしたので戸惑いながらも大変うれしく思いました。

その依頼に気後れを通り越し、ビビっている自分もいましたが、お受けする旨返事をしました。

無事、その本は書店に並び、評価もいただき、その後引き続き他の執筆依頼が来ました。

以降は現役のプロデザイナー向けのデザインTIPSの雑誌や書籍への寄稿が毎月のように続き、2年後には他の出版社からも執筆依頼。ついには、著名なグラフィックデザイナー2人との共著でのデザイン書籍の出版まで決まりした。

その時は紀伊国屋と旭屋書店で私の本が平積みされているのを見て感動したのを憶えています。

その頃、すでに100タイトルを越える書籍への寄稿、執筆をし、その間、デザインの専門学校から講師依頼も来ました。しかし、その依頼は過去の克服できないままの苦手が理由でお断りしました。

そういう状況でも、売り上げはそのグラフィックより、依然WEBデザインに依存している状態でした。ホームページ作成の仕事は順調で、会社を興して以来、もっとも安定した経営状況でした。

本を出版しながらも、そのグラフィックデザインより神戸の会社で培ったWEBデザインに対しての自信が大きく上回っていることと、ホームページ需要の高さで、私の営業活動はエネルギッシュでした。

WEBデザインでも発生するコンペティションも連戦連勝でした。
結果、お客様は大手企業も多く、その作成費用に加え、グラフィックデザインでは存在しない、日々のメンテナンス費用も発生し、しかもその当時はその価格も安くはありませんでした。

まだ負債は1,500万円以上残っていたのですが、この相対的に好機の時期に結婚もしました。

しかし、結婚した同時期からホームページ作成料相場の下落が始まりました。その下落は止まることを知らず、その相場はうちが設定する価格の1/3以下にまでなり、メンテナンス料も同等に下がっていきました。

合わせて、世の景気も上がる気配がなく、うちの主要クライアントの大手企業も、経費および業者見直しの気風が高まりました。その風に対抗する手立てもなく、結果瞬く間にうちのWEB売り上げは70%以上ダウンし、細々やっていたグラフィックデザインが主な業務になってしまいました。

毎月の借り入れに対する利息の返済は大変でした。妻の結婚前から貯めていた貯蓄もすべてつぎ込み、それでも一向に借金は減りません。さらに借金しようにも消費者金融からも断られる状態にまでなっていました。

電話、電気が止まることは当たり前で、水道が止められることも何度かありました。郵便ポストはいつも督促状でいっぱい。電話がつながっている時は督促の電話ばかり。インターホンが鳴ると息をひそめるという日々です。また、後に知った話ですが、妻は私の親兄弟から離婚をすすめられてもいました。

デザインというのは、大きく商取引きで見ると末端の請け負い仕事です。しかも、ユーザーから見ると、原価のかかっていない利益率の高い仕事です。

よって、クライアントとデザイナーの間に広告代理店など間を取り持つ会社があるときはもちろん、クライアントとの直取り引きであっても、予算が取れない案件のしわ寄せは必ずデザイナーに来ます。間を取り持つ会社があるときは、稀に入稿後に仕事が飛んだだとか、クライアントが倒産したなどで一銭もお金が入らないことすらありました。なかには、はなからお金を払う気なく、デザインを作らせる人間や会社までありました。同業者では裁判をおこし争うデザイナーもいましたが、ほとんどのデザイナーが泣き寝入りです。私も後者のデザイナーでした

そんな経験をする中で、妻からはもうデザイナーをやめるようにも進言されていました。

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