コラム

IPOを目指す企業でのさまざまな業務経験(森謙吾プロフィール13)

ある日、とても懇意にしているデザイナーから、「僕のクライアントのY社長に森さんのこと話したら、一度会いたいと言っている。」と言われます。

よくよく聞いてみると、3年以内に上場を目指していて、そのために立ち上げ間もないITの事業部を強化するために、幹部になる人材を会社経営者もしくは経営経験者から探しているとのこと。そのY社長は、できれば自分の会社を手放して幹部社員として常勤で従事することを望んでいるとのこと。

声をかけてくれたそのデザイナーは自身デザイン会社を経営する傍ら、すでにその事業部の責任者として従事していました。

当然、私には自分の会社を手放す選択はまったくありません。
しかし、私は即断ることなく、考えさせて欲しいと返答しました。それは、この展開の見えない閉塞的な状況を打開するきっかけとなることへの望みと、毎月安定したギャランティーの高さでした。

数日後、声をかけてくれたデザイナーからY社長の、「とりあえず一度会いましょう。お互いそれから検討しませんか?」の伝言を聞かされ、とりあえずお会いすることになりました。

そしてその面談の日まで悩み抜きました。
しかし結論が出ず、その面談日にその会社のオフィスビルの下から下村さんに電話をし、面談時間の10分前まで頭を整理することをお手伝いいただきました。結果、私はお断りする決断をし、面談に向かいました。

海の見えるキレイな面談室でその社長Y氏と初めてお会いし、40分ほどの面談が終了。

結局、私は先の決断に反し、その翌週月曜日から勤務することになりました。

合わせて、セッション時間が取れないため、下村さんとのコーチングも終了しました。

株式公開を目指すこの会社での仕事は、ベンチャーキャピタルや銀行、そして経済産業省からの紹介などで上場企業、そして同じく上場を目指す会社などにITを使った革新的かつその企業オリジナルのビジネスモデルを都度考案し提案、そして受注するというもの。その単価はいずれも数千万円です。

Y社長には大変可愛がってもらいました。
「私がすべての借金肩代わりしてやるから。自分の会社を手放して、うちの株を持って役員になれ。人生、大逆転させろ。」とずっと言っていただいていました。確かその当時、負債は半分くらい減り、3,000万円くらいだったと思います。今思えば、大変ありがたいことなのですが、その当時の私は迷うことなく固辞していました。

人生の大目的で起業した自分の会社を手放す選択は、まったくありませんでした。

その後、Y社長は良かれと思ってだと思いますが、うちの会社を100%連結子会社にする具体的提案をしてこられました。そしてその内容には、うちの社員を解雇するということも含まれていました。社員の解雇の提案には今まで以上に強い抵抗を感じました。しかし、毎月、多額のギャランティーをいただきながらも、その会社の社長の申し出を断り続けることに罪悪感を感じ出し、私はそこを去ることを決めました。

2年足らずでしたが、朝から晩までこの神戸の会社で従事し、その後自分の大阪の会社に行き仕事をすることは大変でしたし、うちの社員にも迷惑をかけました。

しかし、この会社では、IT、WEBに関する先進の情報と技術に触れ、学ばせてもらい、IPOを目指す企業とその環境や取り巻く人々、今まで経験したことのない巨額の投資や、それに関わるやり取りを経験させてもらいました。

また、雰囲気や周りに如何に大きく見せるかを突き詰め続けると、何十億、何百億というお金を集め、動かすことができることを知るとともに、巨大な金額が動く上場目前の企業の中でも、多少なりとも貢献できたであろう事を考えると、本質的な自分の能力にも自信をもたせてもらえました。

結果、その会社は私が去った翌年にヘラクレスに上場を果たし、その後M&Aで急速に拡大。“西のライブドア”と言われたその会社も後に上場廃止、そして数年後には破産することになるのですが。

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