コラム

予定の1年遅れの26歳で、会社設立(森謙吾プロフィール10)

さて、起業するにも、資金もなければ、何で会社を興すも決めていません。

そもそも、「会社に勤めている時に次の仕事の準備は会社への裏切りだ」「会社にいる間は営業のこと以外考えるな」と、何ともおバカな考えを持っており、退社後のことは退社してから考えると決めていたというか、それが当たり前だと思っていました。

加えておバカなのが、自分はこれから起業しようとしている人間だから、失業保険などの小さなお金など必要ないと失業保険給付の手続きをしませんでした。どこまでも頭が悪いですし、加えて誰かに相談するという選択肢がありませんでした。

自信だけは過剰気味についていた私は、エネルギーこそ高いのですが、なんせ脳が足りません。確かにマイナスを払拭し続けてきた人生でしたが、だからといって会社が立てられるわけがありません。

結局、ない頭で考え、もともと好きだった料理で、飲食店を経営して、それをフランチャイズ展開しようと。ラーメンチェーン店の屋台から始めるイメージです。で、まずは自分で最初の店舗を出店すべく修行が必要だと行き着きました。

そこで新店オープンの求人情報をあさり、日本橋の割烹に就職しました。しかし、勤めてすぐに「こりゃ時間がかかりすぎる」と気づいたんですね。この時すでに、当初の25歳起業は崩壊しています。で、この割烹を3〜4ヵ月で辞めるのですが、今度は前職の時と違い、勤めている間に作戦を考えました。

その結果、革新的なビジネスをしている会社に入社し、そのノウハウを手にして起業するというものでした。割烹に勤めている間に求人情報をずっと見て、大阪本町のある会社に目星をつけました。

その当時流行っていた個人輸入代行。それにフランチャイズ要素を取り入れた他にないビジネスモデルで、短期間に異常なほど恐ろしく売り上げを上げている会社でした。

そこに面接に行くと決めた時期に、前職の上司下村さんと飲みに行く機会があり、私の今の状況と面接に行こうと思っているその会社のことを話しました。すると、偶然にもその会社の社長は下村さんのお知り合いというのです。下村さんのことが大好きだった私は、それを聞いただけでさらにその会社に行きたいと思いました。

数日後、その会社に自由応募で面接に行き、即採用となりました。

私が配属されたのは特約店課という部署でした。その会社は全国に特約店を募集し、その特約店に個人輸入代行で扱う商品を掲載したチラシを購入してもらい、折込みやポスティングなどで配布広報してもらう。そして、その配布されたチラシから、注文売り上げがたったもののマージンをそのチラシを配った特約店に支払うというものです。特約店課はその全国何万店もの特約店さんからの問い合わせ窓口です。

しかし、特約店さんからかかってくるその電話はすべてクレームでした。その数はとにかく一日中ひっきりなしでした。

この会社が詐欺会社であることは勤務初日にわかりました。

「あなたも副業で月収600万円!」とベンツの前でモデルがガッツポーズしている特約店募集の広告を全国数十誌に大々的にうち続け、その加盟金、月の事務手数料、そして前述の高額チラシを購入してもらう。この会社の巨額な売り上げはその商品の販売売り上げではなく、特約店さんからのそれらだったのです。

特約店さんはほとんどが個人さんで、広告を信じ、何十万、中には百万円を超える先行投資をし、ほとんどの方が返りはゼロ。チラシからの注文に会社は在庫切れと返答し、商品を送っていないのですから特約店さんに払うお金が発生するはずもありません。

それは凄まじい怒りの電話ばかりでした。泣きながら電話してこられる方もいました。当然、その会社は今は存在しませんが、特約店数と毎日の加盟数から一日に億単位のお金が入っていました。

私はすぐに辞めることを考えたのですが、その会社のビジネスモデル自体は非常に面白い。安価な加盟金、正当なチラシ代、そしてもれなく商品を送り、特約店へのマージンも高率にすれば、すべての特約店さんが潤い機能すると考え、これで起業すると決めたのです。

とはいえ、入社間もない私が知っているのはそのビジネスモデルの表面でしかありません。これで起業するには、この会社のことをよく知る人が必要と考えました。そこで、社内を見回し、社歴があり、誠実そうな方をお一人見つけ、「起業するので一緒に働いてくれませんか?」と入社して間もない私は真剣に口説いたのでした。

結果、悩まれた末承諾いただき、私は具体的な開業の準備内々に始めました。合わせて、紆余曲折ありながら、大学時代の友人も一緒にやろうとなり、私のエネルギーはさらに高くなっていました。

しかし、私には開業資金がありません。その友人とは、お互い300万円ずつ持ち寄り有限会社にしようと話をしていましたが、私にはそんなお金どこにもありません。頼るところは親しかありませんでした。

しかし、私は父親にそれをお願いするどころか、会社を興すことを言うことも恐れていました。

しかし、もう後戻りはできないので、その友人に父親の役をしてもらい、マクドナルドで彼相手に会社を興すこと、そして銀行から父親名義でお金を借りてもらい、それを私が返済するというストーリーのロールプレイングを何度もしました。

これは今までの営業経験の中でも一番緊張したものでした。いろいろ忠告をもらったものの、結果承諾してもらい、できれば早々に公の融資を受けて、その借りたお金を完済するストーリーを立てました。

そして、行政書士に頼まず、自分で法務局に通い有限会社の設立登記をし、これまで念願の会社設立にこぎつけたのでした。予定の1年遅れの26歳の時でした。

この登記が完了した時点で、正直、私はゴールテープを切った感覚を持っていました。これがその後、大きな痛手として返ってくることも、その時はまったくわかっていません。

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