コラム

社会人1年目、下村さんとの出会い(森謙吾プロフィール7)

学内での活動すべてが社長になるためのものと、いつしか忘れているくらい夢中になっていた私ですが、就職活動の時には再度、苦手を選択することになります。

25歳で起業する目標を立てていた私は、就職活動には当然その後の起業への最も近道を選択しなければなりません。そこで私の選択条件は苦手な「人と積極的に関わる仕事」のひとつでした。それは営業職か販売職、もしくは接客、つまり業種ではなく職種にしか目を向けていませんでした。

具体的にはその時に大きく接客業と、飛び込みなどの新規営業の広告代理業のその職種でした。

それらの会社のセミナーや面接に行っている最中、ある日学内で誰もが恐れるバスケットボールの選手であった大学職員のNさんに声をかけられました。

「お前、就職は決まったんか?」
私はまだ決まっておらず、接客業と広告代理業に絞っている旨を伝えました。

するとNさんから
「広告代理店の営業だけは絶対にやめとけ!鬼のようにしんどいぞ!」
と忠告をいただいたのです。

歴代のどの武道系の先輩方も恐れる厳しいNさんは、ご自身昔から本当に苦しいトレーニングをしてこられた方です。そのNさんが「鬼のようにしんどい」とは、想像を絶する厳しさなんだろうと思ったと同時に、その瞬間に広告代理店の新規営業マンになることを決意しました。自分を鍛えるにはうってつけだと。

無事、日本ブレーンセンターというリクルート系の求人広告代理店に入社しました。その年の同期は私含めて29名。いずれも社交的で一見デキそうな雰囲気のある、営業に向いていそうな面々ばかりでした。自ら望んだとはいえ、なぜ自分が採用され、このメンバーの中に自分がいるのかが疑問であり、不安でもありました。同時にすでに対抗意識もありました。

すぐに研修という名の実践がスタートしました。

まずは4〜5名チームでの名刺獲得競争からスタートです。エリア分けをして、ローラーで飛び込みをし、とにかく名刺交換をして先方さんの名刺を回収してくるというものです。毎日集計し、チームでの回収枚数が少ないと連帯責任というものです。

知らない人と話すことの怯えに加え、“会社”という未知のところに、呼ばれてもいないのに飛び込んでいく…。自らの成長のため、そして何より連帯責任なので手を抜くことはなかったのですが、同期のライバルとの飛び込み件数にさほど差はないはずなのに、明らかに名刺の回収数に大きな差があるのです。私の名刺回収数は少ないのです。

それは飛び込むことに対する恐怖心の大きさの差だということはわかっていました。しかし、その恐怖心は、研修期間中には払拭どころかさらに強化されていくのでした。

そんな研修期間も終わり、我々は各部署に配属されました。
私が配属されたのは新卒採用事業部でした。

この部署の営業マンは法人の新卒採用の採用計画の提案し、採用広告や入社案内パンフレット作成、セミナー動員DMやテレマーケティング、時として入社後の社員研修などを受注し納品およびサポートをするというものです。

この部署の事業部長は、後の私の人生での大きな指針であり恩師であり、日本でのコーチングのパイオニアである下村裕篤さん(https://shimomura-hiroatsu.com/)です。

営業先が法人の、しかも新卒採用をされる規模の企業なので、営業のそのリーチの仕方は研修時に苦しんだ飛び込み営業ではなく、主に電話でのアプローチ、つまりテレマ営業です。1日におよそ100件から150件、時として200件近いアポイントをとるための電話をし、アポイントを取り訪問営業するというものです。

他の部署は、中途採用やパートアルバイトの採用を支援する部署で、新卒採用事業部よりは飛び込み比率が高いのですが、私にとって飛び込む恐れと電話をかける恐れに差はありませんでした。

加え、飛び込みのような対面でない、電話でのアプローチは、身振り手振り、目の使い方、身なりなど五感への訴求要素がありません。トークの組み立て、言葉選び、声のトーン、ボリューム、間などの聴覚だけへの訴求、そして先方の情報を得る手段も自分の耳だけです。そのため、よりテクニカルなアプローチ方法が必要でした。

商品やマーケットの知識のまったくない新人たちは、とにかくアポイントを取ることが仕事です。アポイントを取り、その訪問に上司や先輩に同行してもらい、プレゼンからクロージングそして受注までしてもらうという流れです。みんな毎日朝から晩まで電話をかけまくり、先輩上司に同行してもらうアポイントを必死で取ろうと頑張っていました。

しかし、私はこの会社で力をつけることが目的でしたので、同行してもらって契約をとることに意味がないと、アポイントをとっては先輩上司と出かけて行く同期たちに強い反発心と対抗心を持っていました。

いま思い返せば、それは私よりアポイントが取れ、先輩たちとも仲良くしている彼らへの嫉妬心からの反発と、自分を保つための言い訳だったようにも思います。

とはいえ、その当時の私は電話をかけることへの恐れに加え、何のテクニックも知識もない下手くそな電話トークで、当然アポイントがなかなか取れません。研修時の飛び込み同様、根は真面目で目的は自己成長だったので、恐れながらも電話件数は他の同期より多かったと思います。

それでもアポイントがなかなか取れない。そしてやっと取れたアポイントも同行を依頼せずにひとりで行く。もう正気の沙汰ではありません。

そうこうしている内に、同期たちはどんどん初受注をあげていきます。社内では毎日のように初受注を祝うくす玉が割られ、大きな拍手で向かい入れられたその新人たちに全社員が握手とともに初受注を讃えるのです。

自己成長のためと心を保ちテレアポに集中していた私も、同期が2件目3件目と受注をあげていくと、いつしか徐々に焦りが出てきました。

蓋を開ければ、29人の同期の中で制作部署でのデザイナー志望の女性2人と私の3人がまだ受注できていない状況でした。つまり営業マンでは私が最後だったのです。

3人居残りで21時を過ぎてまでテレアポをしていました。当然、社内での私の印象は営業資質のない暗い新人というものだったと思います。

私はしまいに円形脱毛症になり、右の眉毛まで抜け出しました。営業先に向かうJRの中で嘔吐したこともありました。

しかし、そんな苦しい営業のスタートを切った私の自己成長のモチベーションは下がり切ることなく続きました。

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