コラム

誰かのためなら乗り越えられる可能性があることに気がついた大学4回生時代(森謙吾プロフィール6)

彼らの優しい反応に、私のエネルギー高い日々を求める気持ちはさらに強化されました。

前述通り、通常4回生の学祭スタッフは、相談役的存在で3回生までの関わり方とは違います。毎日、顔は出せど集団のタスクは積極的に下級生に委譲するため、私の求める達成感はさほど得られませんでした。

しかし、4回生には学祭スタッフとは別に、4回生の有志だけで構成される卒業スタッフという団体があり、これは毎年新規結成される団体で、謝恩会部門、卒業アルバム部門、そして特別企画部門の3部門で構成されます。各々の部門には部門長と副部門長、そしてその全3部門を統括する総合委員長と副委員長がいます。

例年、総合委員長は体育会や文化部会会長が立候補するか、大学側から推薦され、任命されたその総合委員長が各3部門の部門長と副委員長を指名し、構成するスタッフをその後に募集します。

私のエネルギー高い日々を求める気持ちが高ぶっている最中、大学側から私に卒業スタッフの総合委員長への命令に近い打診がありました。
私は迷うことなく快諾しました。

しかし、卒業スタッフの総合委員長には学祭委員長以上に大きな役割がありました。

卒業式での答辞、謝恩会での開会挨拶と閉会時の教授への謝辞スピーチ、そして卒業式前日のレセプションでの開会挨拶。いずれもホテルやホールでの何百人を前にしての長いスピーチです。

しかし、私はその恐怖の大きなマイナスよりも、やり甲斐や達成感のプラスが少しばかり勝っていました。

ほどなく、3部門の長と総合副委員長を選任し、スタッフも77人の4回生を集めることができました。

そして最初に私がした仕事は、前述の大きな4つのスピーチをひとつでも減らす作業でした。体育会会長と文化部会会長、そして卒業スタッフの副委員長にいずれかをやってほしいとお願いし、あっけないくらいに快諾してくれ、私の大役は謝恩会での閉会謝辞スピーチのみになりました。

卒業スタッフは学祭スタッフと違い、上下の関係と時間が育んだ人間関係がなく、対等の同級生で大半が「はじめまして」の人でした。よって、ここでのタスク遂行やチームビルディングは容易ではありません。

例年、卒業スタッフは何らの衝突やトラブルがあり、一年先輩の卒業スタッフに至っては総合委員長のリコールそして交代にまで及びました。この卒業スタッフ運営で私が最も心がけ、目指したのは“みんなが仲良く”なるように努めることと、各部門長への権限委譲と魅力づけでした。

結果、3部門ともに統制が取れ、タスクも極めて高いレベルで遂行できた素晴らしい代となりました。

卒業スタッフの最後の仕事、謝恩会では私が締めの挨拶をするのですが、謝恩会が始まり、全スタッフがタイムテーブルに忠実に自身のタスクをエネルギー高く遂行していく様子、決して楽しいだけでなく、一緒に苦しんだ仲間の真剣な様を見て、あれほど恐れていたスピーチを「早くやりたい」「みんなのためにもキッチリ締めてみせる」の想いが湧いてきました。

謝恩会には学長や職員、教授、学生全員で600名を超え、その前でのスピーチは結果恐れどころか楽しさすら感じるものでした。

挨拶のために上ったステージ上から、暗記した長い挨拶文をスピーチしながらも、会場にいる卒業スタッフの顔を感謝の気持ちで一人ひとりを順に見ていったのを憶えています。

この体験は嬉しいものではありましたが、怯えるモノを克服したという感覚ではありませんでした。ただ、自分のためでなく、誰かのためなら乗り越えられる可能性があるのかも…ということを感じた経験でした。

このスピーチの一件も大きな経験ではありましたが、卒業スタッフという団体で総合委員長の立場で関わらせてもらい、卒業スタッフ同士が今も仲良くしていることが、私にとって大きなプラスの経験となっています。

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