自分の苦手に屈し逃げてしまった大学2回生時代(森謙吾プロフィール5)
しかし、私にはこの学祭スタッフに所属する上での、大変大きな気がかりがありました。
このままいくと、間違いなく私が学祭の実行委員長になる。すると大教室やホールなどでスタッフはもちろん、一般学生や教授たちに、壇上から話をしなければいけない機会があるのです。
高校時代に背負った苦手と向き合わなければいけないのです。
そんな恐れを常に持ちながら、1回生の私は粛々と下働きをしていました。
そして、2回生。
あまりに有意義な学祭スタッフ生活に、クラスメイト2人に所属を勧め、2回生からは同期の男子が2人加わりました。
通例、後の実行委員長は2回生時に前夜祭の委員長をするという暗黙のルールがあるのですが、例に漏れず、私は前夜祭委員長を任命されました。前夜祭委員長は人前で話すことがないので、この1年はまだ例のものと対峙する機会はないと高をくくっていました。
一年かけて前夜祭の準備をし、私を承認してくれる人は先輩方に加え、後輩、そして多くの大学職員の方々とどんどん増えていきました。
前夜祭当日、あるイベント主催者が私に、そのイベントの優勝者にステージ上で表彰状を授与して欲しいとお願いされたのです。
あと1年先だと思っていたチャレンジを突然強いられたのです。
苦手を選択すると決めている私には迷う余地はないですし、断ろうにも誰もが納得する正当な理由がどこにもありません。私は承諾しましたが、人前で、しかも文章を読むという行為にかなりの恐怖を感じ、すでに手が震えだしてもいました。
ちなみにその頃私は、自分が人前で話すと手や声が震えることはおろか、それが怖い素振りすら見せていませんでした。そういう自分を知られることがすごく恥ずかしかったのです。
そして、終日行われる前夜祭でそのイベントはお昼一番に行われました。
ステージ上に立つ男女2人の放送部員に促され、ステージに上がり手渡された表彰状を受賞者に向かって読み上げます。女子放送部員が私の口元にマイクを向け、表彰状を読み始めた瞬間に手が再び震えだしました。
高校のあの時ほどの揺れではないものの、それはステージ下の観客にもすぐわかるもので、それに焦る私の声も同じように震えていました。視界に入る横の女子放送部員が笑いをこらえているのがすぐにわかりました。恐れと恥ずかしさで消えてしまいたいと思った経験でした。
苦手を克服するどころか、苦手がさらに強化された出来事でした。
幾つかの他の理由もありながら、その出来事も大きく影響し、私はこの2回生で学祭スタッフを辞めることを決め、みんなにそれを伝えました。
スタッフや大学職員から「来年どうするんだ」「見捨てるのか」「裏切りだ」と厳しく責められましたが、後に誘ったクラスメイトに後を託し強引に抜けました。自分の苦手に屈し、逃げた出来事でした。
それから3回生は学祭とは関わらない平穏な日々を過ごしながらも、心に、残した学祭スタッフの後輩や同級生に対する罪悪感と、学祭スタッフとして過ごしたエネルギー高い毎日への未練と、またそんな日々を欲している自分がいました。
そして私の関わっていない学祭の前日、何か役に立てればと贖罪の心で学祭スタッフルームに顔を出すことを決めました。
学祭スタッフの彼らがどんな顔で反応するか不安を持つ自分もいました。裏切り者への敵意を彼らから感じるんじゃないかと。しかし、その反応は予想とは逆のものでした。私の手伝いたいとの申し出に、みんなは驚いたと同時に「ありがとう!」「助かった!」などと喜び迎え入れてくれたのでした。

