コラム

愛情を一手に受けた大学1回生時代(森謙吾プロフィール4)

次に大学進学になるのですが、父親から浪人は許さない、もし大学に落ちたら翌日から弁当箱持って現場について来いと言われていました。つまり、家業の大工を継げということです。そうなると、社長になることはおろか、誰より近くにいたくない父親と盆暮れ以外行動を共にするということです。

大袈裟ではなく、これは自分の今世を諦めることと同じことでした。

そこで私の大学受験は、確実に合格できるところを受ける必要がありました。自分の偏差値で十分受かりそうな大学・学科を選択し、無事に京都外国語大学に合格。引き続き社長を目指すことが叶いました。ひとり家にいるときに合格通知が届き、今まで出したことのない大きな声で「ヤッター!」と3度叫んだのを憶えています。

京都外国語大学は一般的な総合大学と違い、きっちりしたクラス制で4年間まったく同じクラスメイトで、専攻の中国語の授業が中学や高校の授業より厳しく過密で、授業の出欠に加え、テストの点数もシビアで、単位を取ることは容易ではありませんでした。

単位が取れないことは留年につながります。我が家では、留年は即退学し家業を継ぐことになります。もともと中国語に興味がないので、日頃は全然勉強しないのですが、テスト勉強は中学や高校の時より真剣にしていた記憶があります。

そんな環境でしたので、大学のクラスはみんな仲良く、極めて団結していました。

さて、そんな大学生活でも苦手克服計画は進みます。

この頃には、友だちに将来会社を興すことを公言し、人に話す中でその起業は自分が25歳の時と言い、それが決まっていきました。

入学しばらくしたある日、在学生の見知らぬ先輩から大学の学園祭スタッフに勧誘されたのです。

学祭スタッフになるということは、私が苦手とし、未知の世界である、大人数のコミュニティーに属するということです。一瞬たじろいだ自分がいましたが、苦手を選択すると決めている私に決断するには時間はかかりませんでした。その場で承諾すると早速大勢の学祭スタッフの詰める部屋に連れて行かれました。
思ったほど怯えていない自分がいたのを憶えています。

結局、その年に学祭スタッフになった男子は私含めて2人だけでした。もう一人の一回生の彼はあまり顔を出さず、実質男子は私一人という状況でした。ここで私は今までに体験のしたことのない存在承認を受けることになりました。同級の女子はたくさんいたのですが、そもそも外大は女子が多いので男子は何かと重宝され、ちやほやされるのです。

20人くらいいたと思う学祭スタッフの先輩方から本当に可愛がられ、愛情を一手にうけていました。しかも、その先輩方はみなさん本当に面白く、私をかまってくれ、毎日笑い死ぬんじゃないと思うくらい笑っていました。

みなさん仲が良く、仕事に対しては目的意識が完全に一致していて、全員がエネルギー高く、かつクオリティ高く仕事を遂行していく。当時は当たり前だと思っていましたが、今思えば極めて稀有なチーム力を持った組織だったと思います。

新参者の私を受け入れるみなさんのマインドも素晴らしかったと思います。

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